》を執らねばならぬと考えた。彼も妻も低い下駄、草鞋《わらじ》、ある時は高足駄《たかあしだ》をはいて三里の路を往復した。しば/\暁かけて握飯食い/\出かけ、ブラ提灯を便《たよ》りに夜《よる》晩《おそ》く帰ったりした。丸《まる》の内《うち》三菱《みつびし》が原で、大きな煉瓦の建物を前に、草原《くさはら》に足投げ出して、悠々《ゆうゆう》と握飯食った時、彼は実際好い気もちであった。彼は好んで田舎を東京にひけらかした。何時《いつ》も着のみ着のまゝで東京に出た。一貫目余の筍《たけのこ》を二本|担《にな》って往ったり、よく野茨の花や、白いエゴの花、野菊や花薄《はなすすき》を道々折っては、親類へのみやげにした。親類の女子供も、稀に遊びに来ては甘藷《いも》を洗ったり、外竈《そとへっつい》を焚《た》いて見たり、実地の飯事《ままごと》を面白がったが、然し東京の玄関《げんかん》から下駄ばきで尻からげ、やっとこさに荷物|脊負《せお》うて立出る田舎の叔父の姿を見送っては、都《みやこ》の子女《しじょ》として至って平民的な彼等も流石に羞《はず》かしそうな笑止《しょうし》な顔をした。
彼は田舎を都にひけらかすと共に、
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