京が段々《だんだん》西へ寄って来て、豊多摩《とよたま》荏原《えばら》の諸郡は追々市外宅地や工場等の場所になり、以前|専《もっぱ》ら穀作《こくさく》と養蚕《ようさん》でやって居た北多摩郡が豊多摩荏原に代《かわ》って蔬菜《そさい》や園芸品《えんげいひん》を作る様になり、土地の価《あたい》は年々上って来て居る。然るに北多摩郡でも最《もっと》も東京に近い千歳村の僅か五百五十町歩の畑地《はたち》の中、地味《ちみ》も便利も屈指《くっし》の六十余町歩、即ち畑地の一割強を不毛《ふもう》の寺院墓地にして了うのは、惜しいものだ。殊に寺院墓地の如き陰気なものに来られては、陽気な人間は来なくなり、多くなるものは農作物の大敵たる鳥雀の類ばかりだ。廿万坪の内には宅地もある。貧乏鬮《びんぼうくじ》を引当《ひきあ》てた者は、祖先伝来の家屋敷や畑をすてゝ、代地《だいち》と云えば近くて十丁以内にはなく、他郷に出るか、地所が不足では農をよして他に転業しなければならぬ者もあろう。千歳村五百五十戸の中、小作が六割にも上って居る。大面積《だいめんせき》の寺院墓地が出来て耕地減少の結果、小作料は自然|騰貴《とうき》する。小作料の騰
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