歳の少年が仙台で将軍の応接間《おうせつま》の椅子に先ず腰かけて「馬鹿ッ!」と大喝《だいかつ》されてから、二十八歳の休職士官が失意失恋故山に悶死《もんし》するまで、其単純な眼に映《えい》じた第一印象の実録である。固より将軍夫妻は良平の恩人である為に、温かい感謝の膜《まく》を隔《へだ》てゝ見たところもある。然し彼は徹頭徹尾《てっとうてつび》単純にして偽《いつわ》ることを得為《えせ》ぬ男で、且如何なる場合にも見且感ずるを得る自然の芸術家であったことを忘れてはならぬ。余は寄生木によって、乃木大将夫妻をヨリ近く識り得た。
 篠原良平は「寄生木」の原稿を余に托し置いて、明治四十一年の秋悶死した。而して、恩人乃木将軍が其名を書いてくれた墓碣《ぼかつ》が故山に建てられた明治四十二年十二月小説寄生木が世に出た。即ち将軍は幕下《ばくか》の彼が為め死後の名を石に書き、彼は恩人の為に生前《せいぜん》の断片的記伝を紙の上に立てた訳《わけ》である。
 余は寄生木を乃木大将に贈呈《そうてい》しなかった。然し伝聞《でんぶん》する処によれば、将軍夫妻は読んだそうだ。将軍は巻中にある某の学資金《がくしきん》は某大佐に渡し
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