下の御践祚《ごせんそ》があった。明治と云う年号《ねんごう》は、昨日限り「大正《たいしょう》」と改められる、と云う事である。
 陛下が崩御になれば年号も更《かわ》る。其れを知らぬではないが、余は明治と云う年号は永久につゞくものであるかの様に感じて居た。余は明治元年十月の生れである。即ち明治天皇陛下が即位式《そくいしき》を挙げ玉うた年、初めて京都から東京に行幸《みゆき》あった其月東京を西南に距《さ》る三百里、薩摩に近い肥後|葦北《あしきた》の水俣《みなまた》と云う村に生れたのである。余は明治の齢《よわい》を吾齢と思い馴《な》れ、明治と同年だと誇《ほこ》りもし、恥じもして居た。
 陛下の崩御《ほうぎょ》は明治史の巻を閉《と》じた。明治が大正となって、余は吾生涯が中断《ちゅうだん》されたかの様に感じた。明治天皇が余の半生《はんせい》を持って往っておしまいになったかの様に感じた。
 物哀《ものかな》しい日。田圃向うに飴屋《あめや》が吹く笛の一声《ひとこえ》長く響いて、腸《はらわた》にしみ入る様だ。

       五

 八月一日。
 月の朔《ついたち》で、八幡様に神官が来て、お神酒《みき》が上
前へ 次へ
全684ページ中536ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング