》するのかと眼を瞠《みは》って眺《なが》めて居た。作ってある麦は、墓の向うの所謂《いわゆる》賭博《とばく》の宿の麦であった。彼は其一部を買って、邪魔《じゃま》になる部分はドシ/\青麦をぬいてしまい、果物好きだけに何よりも先ず水蜜桃を植えた。通りかゝりの百姓衆《ひゃくしょうしゅう》に、棕櫚縄《しゅろなわ》を蠅頭《はえがしら》に結ぶ事を教わって、畑中に透籬《すいがき》を結い、風よけの生籬《いけがき》にす可く之に傍《そ》うて杉苗を植えた。無論必要もあったが、一は面白味から彼はあらゆる雑役《ぞうえき》をした。あらゆる不便と労力とを歓迎した。家から十丁程はなれた塚戸《つかど》の米屋が新村入を聞きつけて、半紙一帖持って御用聞《ごようき》きに来た時、彼はやっと逃げ出した東京が早や先き廻りして居たかとばかりウンザリして甚《はなはだ》不興気《ふきょうげ》な顔をした。
 手脚を少し動かすと一廉《いっかど》勉強した様で、汚ないものでも扱うと一廉謙遜になった様で、無造作に応対をすると一廉人を愛するかの様で、酒こそ飲まね新生活の一盃機嫌《いっぱいきげん》で彼はさま/″\の可笑味を真顔でやってのけた。東京に居た頃
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