こらの麦の収納をするが、其れは人を傭《やと》うたりして直ぐ片づいてしまう。慰《なぐさ》みにくるり棒を取った処で、大した事も無い。買った米を食う先生には、大麦の二俵三俵取れたところで、何でもないのだ。単純な充実《じゅうじつ》した生活をする農家が今|勝誇《かちほこ》る麦秋の賑合《にぎわい》の中に、気の多い美的百姓は肩身狭く、憊《つか》れた心と焦々《いらいら》した気分で自ら己を咀《のろ》うて居る。さっぱりと身を捨てゝ真実の農にはなれず。さりとて思う様に書けもせず。彼方《あち》を羨《うらや》んで見たり、自ら憐んで見たり。中途|半端《はんぱ》な吾儘《わがまま》生活をする罰《ばち》だ。致方は無い。もとより見物人も役者の一人ではある。然し離《はな》れて独り見物は矢張|寂《さび》しい。
 終日|懊悩《おうのう》。夕方庭をぶら/\歩いた後、今にも降り出しそうな空の下に縁台《えんだい》に腰かけて、庭一ぱいに寂寥《さびしさ》を咲《さ》く月見草の冷たい黄色の花をやゝ久しく見入った。
[#地から3字上げ](明治四十五年 六月五日)
[#改ページ]

     堀川

       一

 新聞を見たら、今夜本郷
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