りに咀《のろ》うたら、夕方帰る時最早枯れて居たと云う記事がある。耶蘇程の心力の強い人には出来そうな事だ。
夕方|真紅《まっか》な提灯《ちょうちん》の様な月が上った。雨になるかと思うたら、水の様な月夜になった。此の頃は宵毎《よいごと》に月が好い。夜もすがら蛙が鳴く。剖葦《よしきり》が鳴く。月に浸《ひた》されて生活する我儕《われら》も、さながら深い静かな水の底《そこ》に住んで居る心地がする。
[#地から3字上げ](明治四十五年 六月一日)
[#改ページ]
麦愁
机に向うて、終日|兀座《こつざ》。
外は今にも降りそうな空の下に、一村《ひとむら》総出の麦収納《むぎしゅうのう》。此方《こち》では鎌の音|※[#「竹/(束+欠)」、下巻−60−3]々《さくさく》。彼方《あち》では昨日苅ったのを山の様に荷車に積んで行く。時々|賑《にぎ》やかな笑声が響《ひび》く。皆欣々として居る。労働の報酬《むくい》が今来るのだ。嬉《うれ》しい筈。
例年麦秋になると、美的百姓先生の煩悶《はんもん》がはじまる。余は之を自家の麦愁《ばくしゅう》と名づける。先生の家《うち》にも、大麦小麦を合わせて一反そ
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