すてゝ万年橋を渡った。つい其処の歌舞伎座の書割《かきわり》にある様な紅味《あかみ》を帯びた十一日の月が電線《でんせん》にぶら下って居る。
 築地外科病院の鉄扉《てっぴ》は勿論しまって居た。父のと思わるゝ二階の一室に、ひいた窓帷《まどかけ》越《ご》しに樺色《かばいろ》の光がさして居る。余は耳を澄ました。人のうめき声がしたかと思うたが、其は僻耳《ひがみみ》であったかも知れぬ。父は熟睡《じゅくすい》して居るのであろう。其子の一人が今病室の光《あかり》を眺《なが》めて、此《この》深夜《よふけ》に窓の下を徘徊して居るとは夢にも知らぬであろう。
 睡《ねむ》くなった。頭がしびれて来た。何処でもよい、此重い頭を横たえたくなった。余はうつら/\と夢心地に本願寺の近辺をぶらついた。体で余は歩かなかった。幽霊のようにふら/\とさまようた。不図墓地に入った。此処は余も知って居る。曾て一葉《いちよう》女史《じょし》の墓を見に来た時歩き廻った墓地である。余は月あかりに墓と墓の間を縫《ぬ》うて歩いた。誰やらの墓の台石《だいいし》に腰かけて見た。然し此処は永く眠るべき場所である。一夜の死を享《う》く可き場所ではない
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