国渡航を賛成したのであった。自分は考えた、彼女が二三年も米国に揉《も》まれると、実にエライ女になって来る。然るに今Fさんの言を聞けば、彼女は短かい期間であったが立派に其人格を完成することが出来た。だから死んだのである」と云うた。
外川先生の祈祷《きとう》で式は終えた。一同記念の撮影をして、それから遺髪と遺骨を岩倉家の菩提寺《ぼだいじ》の妙楽寺に送った。寺は小山の中腹にある。本堂の背後《うしろ》、一段高い墓地の大きな海棠《かいどう》の下に、
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岩倉馨子之墓
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と云う小さな墓標《ぼひょう》が立てられた。
*
葛城は其後間もなく独逸に渡った。
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千九百十年 六月十八日
ニューヨーク
本日午後三時当地出帆。
三年苦戦健闘のアメリカを去らんとして感慨強し。闘争は一個微弱なる一少年を化して、兎も角も男を作り候。
馨子を煙とせし北米の空、ふり仰いで涙煙の如く胸を襲《おそ》う。
[#地から3字上げ]勝郎
十
生きて居る者は、苦まねばならぬ。死んだお馨さんは、
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