いた。遙向うの青山街道に車《くるま》の軋《きし》る響《おと》がするのを見れば、先発の荷馬車が今まさに来つゝあるのであった。人と荷物は両花道《りょうはなみち》から草葺の孤屋《ひとつや》に乗り込んだ。
昨日《きのう》掃除しかけて帰った家には、石山氏に頼んで置いた縁《へり》無しの新畳が、六畳二室に敷かれて、流石に人間の住居らしくなって居た。昨日頼んで置いたので、先家主の大工《だいく》が、六畳裏の蛇でものたくりそうな屋根裏《やねうら》を隠す可く粗末な天井を張って居た。
日の暮れ/″\に手車《てぐるま》の諸君も着いた。道具《どうぐ》の大部分は土間に、残りは外に積《つ》んで、荷車荷馬車の諸君は茶一杯飲んで帰って行った。兎も角もランプをつけて、東京から櫃《おはち》ごと持参《じさん》の冷飯で夕餐《ゆうげ》を済まし、彼等夫妻は西の六畳に、女中と三吉は頭合せに次の六畳に寝た。
明治の初年、薩摩近い故郷《こきょう》から熊本に引出で、一時|寄寓《きぐう》して居た親戚の家から父が買った大きな草葺のあばら家に移った時、八歳の兄は「破れ家でも吾家《わがいえ》が好い」と喜んで踊ったそうである。
生れて四十年、
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