て竹箒押取り、下駄ばきのまゝ床《ゆか》の上に飛び上り、ヤケに塵の雲を立てはじめた。女連も是非なく手拭《てぬぐい》かぶって、襷《たすき》をかけた。
 二月の日は短い。掃除半途に日が入りかけた。あとは石山氏に頼んで、彼等は匆惶《そそくさ》と帰途に就いた。今日《きょう》も甲州街道に馬車が無く、重たい足を曳きずり/\漸《ようや》く新宿に辿《たど》り着いた時は、女連はへと/\になって居た。

       二

 明くれば明治四十年二月二十七日。ソヨとの風も無い二月には珍らしい美日《びじつ》であった。
 村から来てもらった三台の荷馬車と、厚意で来てくれた耶蘇教信者仲間の石山氏、角田新五郎氏、臼田《うすだ》氏、角田勘五郎氏の息子、以上四台の荷車に荷物をのせて、午食《ひる》過ぎに送り出した。荷物の大部分は書物と植木であった。彼は園芸《えんげい》が好きで、原宿五年の生活に、借家《しゃくや》に住みながら鉢物も地植のものも可なり有って居た。大部分は残して置いたが、其れでも原宿から高樹町へ持て来たものは少くはなかった。其等は皆持て行くことにした。荷車の諸君が斯様なものを、と笑った栗、株立《かぶだち》の榛《は
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