耕地で二千|余坪《よつぼ》になった。以前は一切無門関、勝手《かって》に屋敷の中を通る小学校通いの子供の草履ばた/\で驚いて朝寝の眠《ねむり》をさましたもので、乞食《こじき》物貰《ものもら》い話客千客万来であったが、今は屋敷中ぐるりと竹の四ツ目籬《めがき》や、※[#「木+要」、第4水準2−15−13]《かなめ》、萩ドウダンの生牆《いけがき》をめぐらし、外から手をさし入れて明けられる様《よう》な形ばかりのものだが、大小《だいしょう》六つの門や枝折戸が出入口を固《かた》めて居る。己《われ》と籠を作って籠の中の鳥になって居るのが可笑《おか》しくもある。但花や果物を無暗に荒《あら》されたり、無遠慮なお客様に擾《わずら》わさるゝよりまだ可と思うて居る。個人でも国民でも斯様な所から「隔て」と云うものが出来、進んでは喧嘩《けんか》、訴訟、戦争なぞが生れるのであろう。
「後生願わん者は糂※[#「米+太」、第3水準1−89−82]甕《じんたがめ》一つも持つまじきもの」とは実際だ。物の所有は隔ての原《もと》で、物の執着《しゅうちゃく》は争の根《ね》である。儂も何時しか必要と云う名の下に門やら牆やら作って了う
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