ちがい》になる。世の中が思う様にならぬでヤケを起し、太く短く世を渡ろうとしてさま/″\の不心得《ふこころえ》をする。鬼に窘《いじ》められて鬼になり、他の小児の積む石を崩してあるくも少くない。賽の河原は乱脈《らんみゃく》である。慈悲柔和《じひにゅうわ》にこ/\した地蔵様が出て来て慰めて下さらずば、賽の河原は、実に情無《なさけな》い住《す》み憂《う》い場所ではあるまいか。旅は道づれ世は情《なさけ》、我儕《われら》は情によって生きることが出来る。地蔵様があって、賽の河原は堪《た》えられる。
 庭に地蔵様を立たせて、おのれは日々《ひび》鬼の生活をして居るでは、全く恥かしい事である。
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     水車問答

 田川の流れをひいて、小さな水車《すいしゃ》が廻って居る。水車のほとりに、樫《かし》の木が一本立って居る。
 白日《まひる》も夢見る村の一人の遊び人が、ある日樫の木の下の草地に腰を下して、水車の軋々《ぎいぎい》と廻るを見つゝ聞きつゝ、例の睡るともなく寤《さ》むるともなく、此様な問答を聞いた。
 軋《ぎい》と一声長く曳張《ひっぱ》るかと思えば、水車が樫の木を呼びかけたのであった
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