《のどか》に浮いて居る日もある。地蔵様は何時も笑顔で、何時も黙って、何時も合掌してござる。
 地蔵様の近くに、若い三本松と相対して、株立《かぶだ》ちの若い山もみじがある。春夏は緑、秋は黄と紅の蓋《がい》をさし翳《かざ》す。家の主《あるじ》は此山もみじの蔭に椅子テーブルを置いて、時々読んだり書いたり、而して地蔵様を眺めたりする。彼の父方の叔母《おば》は、故郷《ふるさと》の真宗の寺の住持の妻になって、つい去年まで生きて居たが、彼は儒教実学の家に育って、仏教には遠かった。唯乳母が居て、地獄、極楽、剣《つるぎ》の山、三途《さんず》の川、賽《さい》の河原《かわら》や地蔵様の話を始終聞かしてくれた。四《よつ》五歳《いつつ》の彼は身にしみて其話を聞いた。而して子供心にやるせない悲哀《かなしみ》を感じた。其様な話を聞いたあとで、つく/″\眺めたうす闇《ぐら》い六畳の煤《すす》け障子にさして居る夕日の寂しい/\光を今も時々憶い出す。
 賽《さい》の河原は哀《かな》しい而して真実な俚伝《りでん》である。此世は賽の河原である。大御親《おおみおや》の膝下から此世にやられた一切衆生は、皆賽の河原の子供である。子
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