がある、往《い》ったら如何だと云う。伝道師は御免を蒙る、生活に行くのです、と云ったものゝ、玉川と云うに心動いて、兎に角見に行きましょうと答えた。そうか、では何日《なんにち》に案内者をよこそう、と牧師は云うた。
約束の日になった。案内者は影も見せぬ。無論牧師からはがき一枚も来ぬ。彼は舌鼓《したつづみ》をうって、案内者なしに妻と二人《ふたり》西を指して迦南《カナン》の地を探がす可く出かけた。牧師は玉川の近くで千歳村《ちとせむら》だと大束《おおたば》に教えてくれた。彼等も玉川の近辺で千歳村なら直ぐ分かるだろうと大束にきめ込《こ》んで、例の如くぶらりと出かけた。
二
「家を有つなら草葺《くさぶき》の家、而して一反でも可《いい》、己が自由になる土を有ちたい」
彼は久しく、斯様な事を思うて居た。
東京は火災予防として絶対的草葺を禁じてしまった。草葺に住むと云うは、取りも直さず田舎に住む訳《わけ》である。最近五年余彼が住んだ原宿の借家も、今住んで居る青山高樹町の借家も、東京では田舎近い家で、草花位つくる余地はあった。然し借家借地は気が置ける。彼も郷里の九州には父から譲られた少
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