家に往って見ると、納屋《なや》と上塗せぬ土蔵《どぞう》の間の大きな柿の木の蔭に村の衆《しゅう》がまだ五六人、紙旗を青竹《あおだけ》に結《ゆ》いつけて居る。
「ドウも御苦労さま、此方様《こちらさま》でも御愁傷《ごしゅうしょう》な」
と云う慣例《かんれい》の挨拶を交《か》わして、其の群《むれ》に入る。一本の旗には「諸行無常《しょぎょうむじょう》」、一本には「是生滅法《ぜしょうめっぽう》」、一本には「皆滅々己《かいめつめっき》」、今一本には何とか書いてある。其上にはいずれも梵字《ぼんじ》で何か書いてある。
「お寺は東覚院《とうがくいん》ですか」
「否《いや》、上祖師ヶ谷の安穏寺《あんのんじ》です」
 其安穏寺の坊《ぼう》さんであろう、紫紺《しこん》の法衣で母屋《おもや》の棺の前に座って居るのが、此方《こち》から見える。棺は緑色の簾《すだれ》をかけた立派な輿《こし》に納めて、母屋の座敷の正面に据《す》えてある。洋服の若い男が坊さんと相対して座《すわ》って居る。医者であろう。左の腕《うで》に黒布を巻いた白衣《はくい》の看護婦の姿が見える。
「看護婦さんも、癒《なお》って帰るじゃ帰り力があるが」と
前へ 次へ
全684ページ中212ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング