ない、と切に忠告した。儂は顧みなかった。古い家ながら小人数《こにんず》には広過ぎる家《うち》を建て、盛に果樹観賞木を植え、一切《いっさい》永住方針を執って吾生活の整頓に六年を費した。儂は儂の住居が水草を逐うて移る天幕《てんと》であらねばならぬことを知らぬでは無かった。また儂自身に漂泊の血をもって居ることを否《いな》むことは出来なかった。従来儂の住居が五六年を一期とする経歴を記憶せぬでは無かった。だから儂は落ちつきたかった。執着《しゅうちゃく》がして見たかった。自分の故郷を失ったからには、故郷を造って見たかった。而して六年間|孜々《しし》として吾巣を構えた。其結果は如何である? 儂が越して程なく要《よう》あって来訪した東京の一|紳士《しんし》は、あまり見すぼらしい家の容子《ようす》に掩い難い侮蔑を見せたが、今年来て見た時は、眼色に争《あらそ》われぬ尊敬を現わした。其れに引易え、或信心家は最初片っ方しか無い車井《くるまい》の釣瓶なぞに随喜したが、此頃ではつい近所に来て泊っても寄《よ》っても往《い》かなくなった。即|儂《わし》の田園生活は、或眼からは成功で、或眼からは堕落に終ったのである。

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