じまったとよ」
 近所のお安さんと云う娘が死んだのは、五月の初であったから、乞食の安さんは桜の花の頃に死んだものと見える。
 安さんは大抵《たいてい》甲州街道南裏の稲荷《いなり》の宮に住んで居たそうだ。埋葬は高井戸でしたと云うが、如何《どん》な臨終《りんじゅう》であったやら。
「あれで中々女が好きでね、女なんかゞ一人で物を持って往ってやるといけないって、皆《みんな》が云ってました」
と婢が云うた。
 安さんが死んだか。乞食の安さんが死んだか。
「死んで安心な様な、可哀想《かあいそう》な様な気もちがしますよ」
 主婦が云うた。
 秋の野にさす雲の翳《かげ》の様に、淡《あわ》い哀《かなしみ》がすうと主人《あるじ》の心を掠《かす》めて過ぎた。
[#改丁]

   麦の穂稲穂

     村の一年

       一

 都近い此《この》辺《へん》の村では、陽暦陰暦を折衷《せっちゅう》して一月|晩《おく》れで年中行事をやる。陽暦正月は村役場の正月、小学校の正月である。いさゝか神楽《かぐら》の心得ある若者連が、松の内の賑合《にぎわい》を見物かた/″\東京に獅子舞《ししまい》に出かけたり、甲州街道
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