なぜ犬猫を可愛《かあい》がらぬのであろう。直ぐ畜生《ちきしょう》と云っては打ったり石を投げたりする。矢張大人の真似を子供はするのであろう。禽獣を愛せぬ国民は、大国民の資格《しかく》が無い。犬猫をいじめる子供は、やがて朝鮮人《ちょうせんじん》台湾人《たいわんじん》をいじめる大人である。ある犬通の話に、野犬《やけん》の牙は飼犬《かいいぬ》のそれより長くて鋭く、且|外方《そっぽう》へ向《む》くものだそうだ。生物《せいぶつ》には飢《うえ》程恐ろしいものは無い。食にはなれた野犬が猛犬になり狂犬になるのは唯一歩である。野武士《のぶし》のポチは郎等のデカとなって、犬相が大に良くなった。其かわり以前の強味はなくなった。富国強兵兎角両立し難いものとあって、デカが柔和に即ち弱《よわ》くなったのも※[#「しんにょう+官」、第3水準1−92−56]《のが》れぬ処であろう。以上二頭の犬の外、トラと云う雄猫《おねこ》が居る。犬好きの家は、猫まで犬化して、トラは畳《たたみ》の上より土に寝《ね》るが好きで、儂等が出あるくと兎《うさぎ》の如《ごと》くピョン/\はねて跟《つ》いて来る。米の飯《めし》より麦《むぎ》の飯、魚
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