ゅうぶん》であった。バイカル[#「バイカル」に二重傍線]湖《こ》から一路上って来た汽車は、チタ[#「チタ」に二重傍線]から少し下りになった。下り坂の速力早く、好い気もちになって窓から覗《のぞ》いて居ると、空にはあらぬ地の上の濃い碧色《へきしょく》がさっと眼に映《うつ》った。野生千鳥草の花である。彼は頭を突出して見まわした。鉄路の左右、人気も無い荒寥《こうりょう》を極めた山坡に、見る眼も染むばかり濃碧《のうへき》の其花が、今を盛りに咲き誇ったり、やゝ老いて紫《むらさき》がかったり、まだ蕾《つぼ》んだり、何万何千数え切れぬ其花が汽車を迎えては送り、送りては迎えした。窓に凭《もた》れた彼は、気も遠くなる程其色に酔うたのであった。
 然しながら碧色の草花の中で、彼はつゆ草の其れに優《ま》した美しい碧色を知らぬ。つゆ草、又の名はつき草、螢草《ほたるぐさ》、鴨跖草《おうせきそう》なぞ云って、草姿《そうし》は見るに足らず、唯二弁より成《な》る花は、全き花と云うよりも、いたずら子に※[#「手へん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》られたあまりの花の断片か、小さな小さな碧色の蝶《ちょう》の唯《ただ》
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