凝って資産を無くし、母に死別れて八歳から農家の奉公に出て、今年二十歳だが碌にイロハも読めぬ女だ。東郷大将《とうごうたいしょう》の名は知って居るが、天皇陛下を知らぬ。明治天皇《めいじてんのう》崩御《ほうぎょ》の際、妻は天皇陛下の概念を其原始的頭脳に打込《うちこ》むべく大骨折った。天皇陛下を知らぬ程《ほど》だから、無論|皇后陛下《こうごうへいか》や皇太子殿下を知る筈が無い。明治天皇崩御の合点《がてん》が行くと、曰《いわ》くだ、ムスコさんでもありますかい、おかみさんが嘸《さぞ》困るでしょうねェ。御維新後四十五年、帝都《ていと》を離《はな》るゝ唯三里、加之《しかも》二十歳の若い女に、まだ斯様な葛天氏《かつてんし》無懐氏の民が居ると思えば、イワン王国の創立者も中々心強い訳だ。斯無懐氏の女の外《ほか》に、テリアル種の小さな黒《くろ》牝犬《めいぬ》が一匹。名をピンと云う。鶴子より一月《ひとつき》前《まえ》にもらって、最早《もう》五歳《いつつ》、顎《あご》のあたりの毛が白くなって、大分《だいぶ》お婆《ばあ》さんになった。毎年二度三疋四疋|宛《ずつ》子を生む。ピンの子孫《しそん》が近村に蕃殖した。近頃畜
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