をもらって居る。名を鶴《つる》と云う。鶴は千年、千歳村に鶴はふさわしい。三歳の年|貰《もら》って来た頃は、碌々口もきけぬ脾弱《ひよわ》い児であったが、此の頃は中々|強健《きょうけん》になった。もらい立《たて》は、儂が結《ゆ》いつけ負《おん》ぶで三軒茶屋まで二里てく/\楽《らく》に歩いたものだが、此の頃では身長三尺五寸、体量《たいりょう》四貫余。友達が無いが淋《さび》しいとも云わず育《そだ》って居る。子供は全く田舎で育てることだ。紙鳶《たこ》すら自由に飛ばされず、毬《まり》さえ思う様にはつけず、電車、自動車、馬車、人力車、自転車、荷車《にぐるま》、馬と怪俄《けが》させ器械の引切りなしにやって来る東京の町内に育《そだ》つ子供は、本当に惨《みじめ》なものだ。雨にぬれて跣足《はだし》で※[#「足+包」、第3水準1−92−34]《か》けあるき、栗でも甘藷《いも》でも長蕪でも生でがり/\食って居る田舎の子供は、眼から鼻にぬける様な怜悧ではないかも知れぬが、子供らしい子供で、衛生法を蹂躙して居るか知らぬが、中々病気はしない。儂等《わしら》親子《おやこ》三人の外に、女中が一人。阿爺《おやじ》が天理教に
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