あったが、彼女はよく夫婿に仕えて、夫婦仲も好く、他目《よそめ》には模範的夫婦と見られた。良人《おっと》はやさしい人で、耶蘇《やそ》教信者で、外川先生の雑誌の読者であった。彼女はその雑誌に時々所感を寄する信州《しんしゅう》の一男子の文章を読んで、其熱烈な意気は彼女の心を撼《うご》かした。其男子は良人の友達の一人で、稀に信州から良人を訪ねて来ることがあった。何時《いつ》となく彼女と彼の間に無線電信《むせんでんしん》がかゝった。手紙の往復がはじまった。其内良人は病気になって死んだ。死ぬる前、妻《つま》に向って、自分の死後は信州の友の妻になれ、と懇々遺言して死んだ。一年程過ぎた。彼女と彼の間は、熱烈な恋となった。而して彼女の家では、父死し、弟は年若《としわか》ではあり、母が是非居てくれと引き止むるを聴かず、彼女は到頭《とうとう》家《うち》を脱け出して信州の彼が許《もと》に奔《はし》ったのである。

           *

 朝飯後、客の夫婦は川越の方へ行くと云うので、近所のおかみを頼み、荻窪まで路案内《みちしるべ》かた/″\柳行李を負《お》わせてやることにした。
 彼は尻をからげて、莫大小
前へ 次へ
全684ページ中120ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング