知らぬ。子供の頃は犬とばかり遊んで、着物は泥まみれになり、裾《すそ》は喰《く》いさかれ、其様《そん》なに着物を汚すならわたしは知らぬと母に叱《しか》られても、また走り出ては犬と狂うた。犬の為には好きな甘《うま》い物《もの》も分けてやり、小犬の鳴き声を聞けばねむたい眼を摩って夜半《よなか》にも起きて見た。明治十年の西郷戦争《さいごうせんそう》に、彼の郷里の熊本は兵戈《へいか》の中心となったので、家を挙《あ》げて田舎に避難したが、オブチと云う飼犬のみは如何しても家《うち》を守って去らないので、近所の百姓に頼んで時々食物を与えてもらうことにして本意ない別を告げた。三月程して熊本城の包囲が解け、薩軍は山深く退いたので、欣々と帰って見ると、オブチは彼の家に陣《じん》どった薩摩健男《さつまたけお》に喰われてしまって、頭だけ出入の百姓によって埋葬されて居た。彼の絶望と落胆は際限が無かった。久しぶりに家《うち》に還《かえ》って、何の愉快もなく、飯も喰わずに唯|哭《なげ》いた。南洲《なんしゅう》の死も八千の子弟の運命も彼には何《なん》の交渉もなく、西南役は何よりも彼の大切なオブチをとり去ったものとして彼
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