「色々お世話でした」
 傘を傾けて杉の下に立って見て居ると、また一しきり烈《はげ》しく北から吹きつくる吹雪《ふぶき》の中を、黒い外套姿が少し前俛《まえこご》みになって、一足ぬきに歩いて行く。第一の石橋を渡る。やゝあって第二の石橋を渡る。檜林について曲る。段々小さくなって遠見の姿は、谷一ぱいの吹雪に消えたり見えたりして居たが、一本檜の処まで来ると、見かえりもせず東へ折《お》れて、到頭《とうとう》見えなくなってしもうた。
 半歳《はんとし》の後、彼は郷里の南部《なんぶ》で死んだ。
 漢人の詩に、
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歩出《ほしていづ》城東門《じやうとうのもん》、     遙望《はるかにのぞむ》江南路《こうなんのみち》、
前日《ぜんじつ》風雪中《ふうせつのうち》、     故人《こじん》従此去《これよりさる》、
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 別れの杉の下に立って田圃を見渡す毎に、吹雪の中の黒い外套姿が今も彼の眼さきにちらつく。
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     白

       一

 彼の前生は多分《たぶん》犬《いぬ》であった。人間の皮をかぶった今生にも、彼は犬程|可愛《かあい》いものを
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