と、さも/\其れだけは、力に及ばぬように言う。
 そうなると、矢張り私の心元なさは少しも減じない。それからそれへと、種々《いろん》なことが思われて、相変らず心の遣りばに迷いながら、気抜けがしたようになって、またしても、以前のように何処という目的《あて》もなく方々歩き廻った。けれどもお宮という者を知らない時分に歩き廻ったのとはまた気持が大分違う。寂しくって物足りないのは同じだが、その有楽座の新口村を聴いてから、あの「……薄尾花《すすきおばな》も冬枯れて……」と、呂昇の透き徹るような、高い声を張り上げて語った処が、何時までも耳に残っていて、それがお宮を懐かしいと思う情《こころ》を誘《そそ》って、自分でも時々可笑いと思うくらい心が浮《うわ》ついて、世間が何となく陽気に思われる。私は湯に入っても、便所に行っても其処を口ずさんで、お宮を思っていた。
 明後日《あさって》までに何とか定《き》めて了わなければならぬ、と、言っていたから、二日ばかりは其様《そん》な取留めもないことばかりを思っていたが、丁度その日になって、日本橋の辺を彷徨《うろうろ》しながら、有り合せた自動電話に入って、そのお宮のいる沢
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