から、早く出て戻った。
 自家《うち》に戻ると、日の短い最中だから、四時頃からもう暗くなったが、何をする気にもなれず、また矢張り机に凭《よ》って掌に額を支えたまゝ静《じっ》としていると、段々気が滅入り込むようで、何か確乎《しっかり》としたものにでも執り付いていなければ、何処かへ奪《さら》われて行きそうだ。そうして薄暗くなって行く室《へや》の中では、頭の中に、お宮の、初めて逢った晩のあの驚くように長く続いた痙攣。深夜《よふけ》の朧に霞んだ電灯の微光《うすあかり》の下《もと》に惜気もなく露出して、任せた柔い真白い胸もと。それから今朝「精神的に接するわ」と言った、あの時のこと、その他折によって、種々《いろいろ》に変って、此方《こちら》の眼に映った眉毛、目元口付、むっちりとした白い掌先《てさき》、くゝれの出来た手首などが明歴《ありあり》と浮き上って忘れられない。……それが最早《もう》居なくなって了うのだと思うと、尚お明らかに眼に残る。
 私は、何うかして、此の寂しく廃《すた》れたような心持を、少しでも陽気に引立てる工夫はないものか、と考えながら何の気なく、其処にあった新聞を取上げて見ていると、
前へ 次へ
全118ページ中93ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
近松 秋江 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング