てくれた。私はそれを、悠然と着込んで待っていたのだが、用事《よう》のある者は、皆な、それぞれ忙しそうにしている時分に、日の射している中を、昨夜に変る、今朝の此の姿は、色男の器量を瞬く間に下げて了ったようで、音も響も耳に入らず、眼に付くものも眼に入らず、消え入るように、勢《せい》も力もなく電車に乗ったが、私は切符を買うのも気が進まなかった。
喜久井町の自家《うち》に戻ると、もう彼れ是れ二時を過ぎていた。さて詰らなさそうに戻って見れば、家の中は今更に、水の退《ひ》いた跡のようで、何の気《け》もしない。何処か、其処らに執《と》り着く物でもいるのではないかと思われるように、またぞっと寂しさが募る。私は、落ちるように机の前に尻を置いて、「ほうッ」と、一つ太息を吐いて、見るともなく眼を遣ると、もう幾日《いくか》も/\形付けをせぬ机の上は、塵埃《ほこり》だらけな種々《いろん》なものが、重なり放題重なって、何処から手の付けようもない。それを見ると、また続けて太息が出る。「あゝ!」と思いながら、脇を向いて、此度は、背を凹ますように捻じまげて何気なく、奥の六畳の方を振返ると、あの薄暗い壁際に、矢張りお前
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