から「棄てないで下さい!」と言うのならば、思い切って、何うかして下さい、とでも、も少し打明けて相談をし掛けないのであろうと、それを効《かい》なく思っていた。
 そういうと、女は黙っていた。また以前《もと》の通り何処に心があるのやら分らなかった。するとまた暫く経って、「定ったらあなたに手紙を上げますから、そうしたら何うかして下さいな。」とそう言う。此度は此方で「うむ!」と気のない返事をした。
 戸外《そと》は日が明るく照って、近所から、チーン、チーンと鍜冶の槌の音が強く耳に響いて来る。何処か少し遠い処で地を揺《ゆす》るような機械の音がする。今朝は何だか湿りっ気がない。
 勘定が大分|嵩《かさ》んだろう。……斯う長く居るつもりではなかったから、固より持合せは少かった。私は突然《だしぬけ》に好い夢を破られた失望の感と共に、少しでも勘定が不足になるのが気になって、そうしていながらも、些《ちっ》とも面白くなかった。私にはまだ自分で待合で勘定を借りた経験はなかった。お宮を早く帰せば銭《かね》も嵩まないと分っていたが、それは出来なかった。又仮令これ限《き》りお宮を見なくなるにしてもお宮のいる前で勘定
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