はひどく面窶《おもやつ》れがして、先刻洗って来た、昨夕《ゆうべ》の白粉の痕が青く斑点《ぶち》になって見える。「……万里泊舟天草灘《ばんりふねをはくすあまくさのなだ》……」と唯口の前《さき》だけ声を出して、大きく動かしている下腮《したあご》の骨が厭に角張って突き出ている。斯うして見れば年も三つ四つ老けて案外、そう標致《きりょう》も好くないなあ! と思った。
「ねえ! 教えて下さい。」
と、いうから、「じゃ好いのを教えよう。」と気は進まないながら、自分の好きな張若虚の「春江花月夜《しゅんこうかげつのよ》」を教えて遣った。「これに書いて意味を教えて下さい。」というから巻紙に記して、講釈をして聞かせて遣った。「……昨夜間潭夢落花《さくやかんたんらっかをゆめむ》。可憐春半不還家《あわれむべししゅんぱんいえにかえらず》。江水流春去欲尽《こうすいりゅうしゅんさってつきんとほっす》……」という辺《あたり》は私だけには大いに心遣りのつもりがあった。
飯は済んだが、私はまだ女を帰したくなかった。
お宮は、心は何処を彷徨《うろつ》いているのか分らないように、懐手をして、呆然《ぼんやり》窓の処に立って、
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