来た。
戸外《そと》を更けた新内の流しが通って行った。
「おい! 本当に何うかしたの?」私は三度《みたび》問うた。
すると尚お暫時《しばらく》経って、女は、
「ほうッ」と、一つ深あい呼吸《いき》をして、疲れたようにそうッと顔を上げて、此度はさも思い余ったように胸元《むね》をがっくりと落して、頸を肩の上に投げたまゝ味気なさそうに、目的《あて》もなく畳の方を見詰めて居た。矢張り両手を懐中にして。
私は何処までも凝乎とそれを見ていた。
平常《いつも》はあまり眼に立たぬほどの切れの浅い二重瞼が少し逆上《ぼっ》となって赤く際だってしおれて見えた。睫毛が長く眸《め》を霞めている。
「何うしたい!」四度目《よたびめ》には気軽く訊ねた。「散々|私《ひと》を待たして置いて来る早々沈んで了って。何で其様な気の揉めることがあるの? 好い情人《ひと》でも何うかしたの?」
「遅くなったって私が故意に遅くしたのじゃないし。ですから、済みませんでした、と謝っているじゃありませんか。早く来ないと言ったって、方々都合が好いように行きゃしない。……はあッ、私もう斯様《こん》な商売するのが厭になった。……」うるさそ
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