払う胸算《あて》もなしに、書籍を買うのでもないが、でもそれを読んで、何か書いていれば、「今に良くなるのだろう。」くらいには思わないこともなかった。
 これはお宮の髪容姿《かみかたち》と、その厭味のない、知識らしい気高い「ライフ・オブ・リーゾン」や「アミイルの日記」などと比べて見て初めて気の付いたことでもない。
 いや、お前に「私もよもやに引かされて、今にあなたが良くなるだろう、今に良くなるだろうと思っていても、何時まで経ってもよくならないのだもの。」と口に出して言われる以前から自分にも分っていた。「良くなる。」というのは、何が良くなるのだろう? 私には「良くなる。」ということが、よく分っているようで、考えて見れば見るほど分らなくなって来た。
 私は一度は手を振上げて其の本に「何だ、馬鹿野郎!」と、拳固を入れた。けれども果して書籍《ほん》に入れたのやら、それとも私自身に入れたのやら、分らなくなった。
 私は、ハッとなって、振返って、四辺《あたり》を見廻した。けれども幸い誰れもいなかった。固《もと》より誰れもいよう筈はない。
 身体は自家にいながら、魂魄《こころ》は宙に迷うていた。お宮を遊
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