西洋《むこう》に誂えて取ったものであった。アーサア・シモンズの「七芸術論」、サント・ブーブの「名士と賢婦の画像」などもあった。
 私は其等をきちんと前に並べて、独り熟※[#二の字点、1−2−22]《つくづく》と見惚れていた。そうしていると、その中に哲人文士の精神が籠っていて、何とか言っているようにも思われる。或はまた今まで其等が私に※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]を吐いていたようにも思われる。
 私がそんな書籍を買っている間、お前はお勝手口で、三十日《みそか》に借金取の断りばかりしていた。私もまさかそんな書籍を買って来て、書箱《ほんばこ》の中に並べ立てゝ、それを静《じっ》と眺めてさえいれば、それでお前が、私に言って責めるように、「今に良くなるだろう。」と安心しているほどの分らず屋ではなかったが、けれども唯お前と差向ってばかりいたのでは何を目的《あて》に生きているのか、というような気がして、心が寂しい。けれどもそうして書箱に、そんな種々《いろん》な書籍があって、それを時々出して見ていれば、其処に生き効《がい》もあれば、また目的《あて》もあるように思えた。私だとても米代を
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