たら、それが楽しいながらも苦しくなって来た。
女からは初めて、心を惹くような、悲しんで訴えるような、気取った手紙を寄越した。私の心は何も彼も忘れて了って、唯|其方《そっち》の方に迷うていた。
銭がなければ女の顔を見ることが出来ない。が、その銭を拵える心の努力《はげみ》は決して容易ではなかった。――辛抱して銭を拵える間が待たれなかったのだ。
そうする内に箱根から荷物が届いた。長く彼方《あちら》にいるつもりであったから、その中には、私に取って何よりも大切な書籍《ほん》もあった。之ばかりは何様《どん》なことがあっても売るまいと思っていたが、お宮の顔を見る為に、それも売って惜しくないようになった。
厭味のない紺青《こんじょう》の、サンタヤナのライフ・オブ・リーゾンは五冊揃っていた。此の夏それを丸善から買って抱えて帰る時には、電車の中でも紙包《つつみ》を披《ひら》いて見た、オリーブ表紙のサイモンヅの「伊太利《イタリー》紀行」の三冊は、十幾年来憧れていて、それも此の春漸く手に入ったものであった。座右に放さなかった「アミイルの日記」と、サイモンヅの訳したベンベニュトオ・チェリニーの自叙伝とは
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