声をかけるから、そうしたら脱衣《きもの》を抱えて直ぐ降りてお出でッて。……ちゃんと隠れる処が出来ているの。……今|灯《ひ》を点して見せて貰ったら、ずうっと奥の方の物置室《ものおき》の座板の下に畳を敷いて座敷があるの……」
 そう言って大して驚いてる気色《けしき》も見えぬ。また私も驚きもしなかった。
 やがて廊下を隔てた隣の間でも、ドシ/\と男の足音がしたり、静かな話声がしたり、衣擦《きぬず》れの音がしたりして段々客があるらしい。
 自家《うち》に帰れば猫の子もいない座敷を、手索《てさぐ》りにマッチを擦って、汚れ放題汚れた煎餅蒲団に一人柏葉餅のようになって寝ねばならぬのに斯うして電灯のついた室《へや》に、湯上りに差向いで何か食って、しかも、女を相手にして寝るのだから、私はもう一生|待合《ここ》で斯うして暮したくなった。
「…………。」私は何か言った。
 廊下の足音が偶《たま》に枕に響いた。
「……誰れか来やしないか。……一寸《ちょいと》お待ちなさい。……そら誰れか其処にいるよ……」手真似で制した。警察のやかましいぐらい平気でいるかと思ったら、また存外神経質で処女《きむすめ》のように臆病な
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