と思った。
それでも何うも夜も落々《おちおち》眠られないし、朝だって習慣《くせ》になっていることが、がらりと様子が変って来たから寝覚めが好くない。以前|屡《よ》くお前に話し/\したことだが、朝|熟《よ》く寝入っていて知らぬ間に静《そっ》と音の立たぬように新聞を胸の上に載せて貰って、その何とも言えない朝らしい新らしい匂いで、何時とはなく眼の覚めた日ほど心持の好いことはない。まだ幼い時分に、母が目覚しを枕頭《まくらもと》に置いていて、「これッこれッ。」と呼び覚していたと同じような気がしていた。それが最早《もう》、まさか新聞まで寝入っている間《ま》に持って来て下さい、とは言われないし、仮令《たとい》そうして貰ったからとて、お前にして貰ったように、甘《うま》くしっくりと行かないと思ったから頼みもしなかった。が、時々|斯様《そん》なことを思って一つそうして貰って見ようかなどと寝床の中で考えては、ハッと私は何という馬鹿だろうと思って独りでに可笑くなって笑ったこともあったよ。
で、新聞だけは自分で起きて取って来て、また寝ながら見たが、そうしたのでは唯字が眼に入るだけで、もう面白くも何ともありゃしない。……本当に新聞さえ沢山取っているばかりで碌々読む気はしなかった。
それに、あの不愛想な人のことだから、何一つ私と世間話をしようじゃなし。――尤も新聞も面白くないくらいだから、そんなら誰れと世間話をしようという興も湧かなかったが――米だって悪い米だ。私はその、朝無闇に早く炊いて、私の起きる頃には、もう可い加減冷めてポロ/\になった御飯に茶をかけて流し込むようにして朝飯《あさめし》を済ました。――間食をしない私が、何様《どん》なに三度の食事を楽みにしていたか、お前がよく知っている。そうして独りでつくねんとして御飯を食べているのだと思って来るとむら/\と逆上《こみあ》げて来て果ては、膳も茶碗も霞んで了う。
寝床だって暫時《しばらく》は起きたまゝで放って置く。床を畳む元気もないじゃないか。枕当の汚れたのだって、私が一々口を利いて何とかせねばならぬ。
秋になってから始終《しょっちゅう》雨が降り続いた。あの古い家のことだから二所《ふたところ》も三所も雨が漏って、其処ら中にバケツや盥《たらい》を並べる。家賃はそれでも、十日ぐらい遅れることがあっても払ったが、幾許《いくら》直してくれと言っ
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