処へでも行っている。……奉公にでも行く。……好い縁《くち》があれば、明日でも嫁《かたづ》かねばならぬ。……同じ歳だって、女の三十四では今の内早く何うかせねば拾ってくれ手が無くなる。」と言うから、
「じゃ今夜だけは家にいて明日からいよ/\そうしたら好いじゃないか。そうしてくれ。」と私が頼むように言うと、
「そうすると、またあなたが因縁を付けるから……厭だ。」
「だって今夜だけ好いじゃないか。」
「じゃあなた、一足|前《さき》に帰っていらっしゃい。私柳町に一寸寄って後から行くから。」
私は言うがまゝに、独り自家《うち》に戻って、遅くまで待っていたけれど、お前は遂に帰って来なかった。あれッきりお前は私の眼から姿を隠して了ったのだ。
それから九月、十月、十一月と、三月の間、繰返さなくっても、後で聞いて知ってもいるだろうが、私は、お前のお母《っか》さんに御飯を炊いて貰った。お前も私の癖は好く知っている。お前の洗ってくれた茶碗でなければ、私は立って、わざ/\自分で洗い直しに行ったものだ。分けてもお前のお母《っか》さんと来たら不精で汚らしい、そのお母さんの炊いた御飯を、私は三月――三月といえば百日だ、私は百日の間辛抱して食っていた。
お前達の方では、これまでの私の性分を好く知り抜いているから、あゝして置けば遂に堪らなくなって出て行くであろう、という量見《かんがえ》もあったのだろう。が私はまた、前《さき》にも言ったように、自然《ひとりで》に心が移って行くまで待たなければ、何うする気にもなれなかったのだ。
それは老母《としより》の身体で、朝起きて見れば、遠い井戸から、雨が降ろうが何うしょうが、水も手桶に一杯は汲んで、ちゃんと縁側に置いてあった。顔を洗って座敷に戻れば、机の前に膳も据えてくれ、火鉢に火も入れて貰った。
段々寒くなってからは、お前がした通りに、朝の焚き落しを安火《あんか》に入れて、寝ている裾から静《そっ》と入れてくれた。――私にはお前の居先きは判らぬ。またお母さんに聞いたって金輪際それを明す訳はないと思っているから、此方《こっち》からも聞こうともしなかったけれど、お母さんがお前の処に一寸々々《ちょいちょい》会いに行っているくらいは分っていた。それゆえ安火を入れるのだけは、「あの人は寒がり性だから、朝寝起きに安火を入れてあげておくれ。」とでもお前から言ったのだろう
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