主人も私の言葉につれて、
「姉さん、そんなこともう、今いわんとおきやす。いつでも後になって、あんたはんたち二人でまた笑ってそんなことは話せますよって」と抑えるようにいって、
「……さあ、もうあんまり長うなると、お母はんがまた喧しゅういわはりますさかい……姉さんほんならよろしいなあ、どうぞ今夜の約束はこのお方でのうて私に対して違《たが》えんようにしておくれやす」
と主人は重ね重ね念を押していった。そして私に向って、
「兄さん、あんたはんも、もういうことおへんか……ほんならもう、どっちも異存おへんなあ」と、言いきって、また気を変えて、
「さあ、姉さんえらい御苦労さんどした。どうぞ帰ってお寝《やす》みやしとくれやす。遅うまで済みまへん」
彼女はそれをしおにようよう立ち上がって、礼をいいつつ、壁隣りの自分の家に帰った。
七
まだ二月半ばの厳《きび》しい寒威は残っていても、さすがに祇園町まで来てみると明麗な灯の色にも、絶ゆる間もない人の往来にも、何となくもう春が近づいて来たようで、ことに東京と異《ちが》って、京は冬でも風がなくって静かなせいか夜気の肌触《はだざわ》りは身を切る
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