に多勢の人間がいるのが、私には自分の年配を考えて、面伏せであったり遠慮であったりした。そして、近づきのない京都三界に来て、そうしたわけでそんな家《うち》の厄介《やっかい》になったりするのが何ともいえず欝屈《うっくつ》であったが、それも思いつめた女ゆえと諦《あきら》めていた。私は悄然としながら、案内せられるままにそちらに通ると、座蒲団《ざぶとん》を持って来てすすめたり、手焙《てあぶ》りに火を取り分けて出したりしながら、
「どうぞそないに遠慮せんと、寒うおすよって、ずっと大きな火鉢の方に寄っとおくれやす」と皆なしていってくれる。
これも何だか半分気狂いではないかと思われそうなそこの婆さんは酔狂の癖があると思われて、ひどく興奮してしまって、こちらから辞を卑《ひく》うして挨拶《あいさつ》をしてもそれに応答しようともせず、変に、自分ほど偉い者はないといった、頭《ず》の高い調子で、いつまでも、ちびりちびり飲んでいる。いつか聞くところによると、婆さんは、西郷隆盛《さいごうたかもり》などが維新の志士として東三本樹《ひがしさんぼんぎ》あたりの妓楼《ぎろう》で盛んに遊んでいたころ舞妓《まいこ》に出ていて
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