ところで、とっくり姉さんの腹を一遍訊いてみたいと思うてたら、私の想像したとおりやった」と、分らなかった謎《なぞ》がやっと解けた時のような気持でいって、また私の方に顔を向けながら、
「ほて、姉さんはこういうてはります。……わたしは、あんたはん――あのお方のことは一日も忘れてはおらん、毎日毎日心の中ではあの人は今時分はどこにどないしておいやすやろ思うて気にかかっていたのやいうてはります。こんどのことには一口にいえん深い事情があって、自分のとうからこうしようと思うていたこととは、ちょうど反対したことになってしまったいうて、きつう泣いてはりました」といって、主人はしんみりとした調子で話した。
私は、主人がさっきから何度も繰り返していう、姉さんがきつうそれで泣いてはりますというのを聞かされるたびに、その女の泣いてくれる涙で、長い間の自分の怨《うら》みも憤りも悲しみもすべて洗い浄《きよ》められて、深い暗い失望のどん底から、すっと軽い、好い心地で高く持ち上げられているような気がしてきた。そして今までじっと耐《こら》えていた胸がどうかして一とところ緩《ゆる》んだようになるとともに、何ともいえない感謝するような涙が清い泉のように身体中から温《あたた》かく湧《わ》いてくるのが感じられた。私は、その涙を両方の指先に払いながら、
「ああそうですか。それで今ほかの人間の世話になっているというのですか」私は早く先きが訊きたくて心がむやみと急いだ。
主人はうなずいて、「それを姉さんいうてはりました。今世話になってる人というのは、一緒になるというような見込みのある人とちがう。おかみさんもあるし、子供も二人とか三人とかある人で、これまでにもう何度も引かしてやろう言うてたことはあったけど、姉さん自身ではもうあんたはんのところに行くことに、心は定めていたんやそうにおす。そこへ去年の秋のあの風邪《かぜ》が原因《もと》でえらい病気して自分は正気がないようになっているところを付け込んで、お母はんは目先の欲の深い人やよって、今の人がお母はんに金を五百円とかやって姉さんの身を引き受けよう、ほんなら、どうぞおまかせしますということに、自分の知らぬ間に二人で約束してしもうて、医者から何からみんなその人がしてくれて、お陰で病気も追い追い良うなったのやし、今となって向うの人にも深い義理がかかってあのお方の方ばかりへ義
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