理を立てるわけにもゆかんようになった。それで今急にどうするということも出来んさかい、ここ半歳《はんとし》か一年待っていてもらいたい。その間に好い機《おり》があったらまたこちらから手紙を出すか、話をするかするさかい……」
「それで半歳か一年待ってくれというのですか」
「まあ、そういうてはるのどす。今急にあんたはんのところへ行けんことになったよって、それを私からあんたはんによう断りいうてくれるように、姉さんからくれぐれも頼んではりました。……そんなわけどすよって、あんたはんももう好い時節の来るまであまり気を急《せ》かんとおきやす。この話|急《せ》いたらあきまへん。私も御縁でこして及ばずながら仲に入って口をききました以上は決して悪い話には致しませんつもりどすよって」と、頼もしそうに私を慰めてくれて、
「それにしてもあの母親は、姉さんも、お母はんという人目先の欲の深い人どすいうてはったが、ひどいことをする婆さんどすなあ。ただ一時《いっとき》金貰うたかて見込みのない人やったらしかたがないやおへんか」繰り返してそれを呆れている。
「いろいろお骨折り有難うぞんじます」
と、私は主人の前に頭を下げて心から礼をいったが、そうしてむざむざ人の楽しみにさしておくのを承知しながら、今すぐにも自分の方へ取り戻すことの出来ぬのが堪えがたい不満であり、今までの長い間の、とてもいうに言えない自分の、その女のために忍んで来た惨憺《さんたん》たる胸中を考えれば考えるほど、そんな破滅になってしまったのがあまりに理不尽であるように思えてどうしたらこの耐えがたい胸を鎮めることが出来るかと思った。それとともに、向うの人間にどれだけの恩義を被《き》ているか、それは分らないにしても、またたとい、はたして彼女のいうことを信じて母親に対して生《な》さぬ仲の遠慮ということを認めるにしても、あまり女の心のいい甲斐《がい》なさと頼りなさとが焦躁《もどか》しかった。そしてその向うの人間というのは、いつか彼女が自分で話して聴かした去年の二月にも病気の時引かしてやろうといい出したその人間のことであろう。その人間ならば決してそう深いわけはなかったはずである。それにこの間の夜松井の女主人《おんなあるじ》のところへたずねて往って会った時の話にも、こんど病気でいよいよ廃業する時にももう女の身に付いた借金というほどのものもなかったというし
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