《あ》かない。
「ご免なさい」
と、声をかけてみた。すると、入口の脇《わき》の※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子窓《れんじまど》をそっと開けて、母親が顔を出した。
「おかあはん、やっぱりここにいるんじゃありませんか」と、私は、どこまでも好きな女の母親に物をいうように優しい調子でいうと、母親は、それでもまだ剛情を張って、
「ここは私の家《うち》と違います。先から、そういうてるやおへんか」と、あくまでも白ばくれようとする。
私も心でむっとしながら、
「いや、もう、そんなに隠さない方がいいです。あなた方は初めからここにいたのは分っているんだ。お園さんはどうしています?」
そういうと、母親もさすがに包みかねて、声を柔らげながら、
「今まだ病気が本当にようありまへんさかい。ようなったら、あんたはんにも会わせますいうてるやおへんか、どうぞ今度また会うてやっとくれやす」
と調子のいいことをいう。
「そこにいるんなら、今会ったっていいじゃありませんか」
「今ちょっと留守どすさかい。また加減がようなったら、私の方から、あんたはんにお知らせします。もうしばらくの間待ってとくれやす」
窓の内と外とで立ちながら、そんな話をしたが、母親は入口を開けて私を家の中へ入れようとせぬ。そしてしまいには、呆《あき》れて応答も出来ないような野卑な口をきいて毒づくのである。そもそも女に逢《あ》い初《そ》めた時分、それからつい去年の五月のころ、女の家に逗留《とうりゅう》していた時分に見て思っていた母親とは、まるで打って変った悪婆らしい本性を露出して来た。
それにつけても、まだ女の家にいたころ、女が私と二人ばかりの時、
「内のお母はん、ちょっと欲の深い人どすさかい」と一と口いったことのあったのを、ふと思い起した。それを質樸《しつぼく》な婆さんと見たのがこちらの誤りであったか……そんなことを思った。
私の心の中を正直に思ってみれば、もう、女の顔を見たいが一心である。ともかくも一度どうかして本人の顔が見たい。振《ふ》り顧《かえ》ってみると、母親にこそ近ごろたびたび会っているが、本人の顔を見たのは、もう、去年の七月の初め彼女のところから山の方に立っていった、あの時見たきり七、八カ月というもの見ないのである。流行感冒から精神に異状を来たして長い間|患《わずら》っていたというから、どんな容姿《すがた
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