》をしているか、さぞ病み細っているであろう。どうかして一度顔を見たいものである。そして出来ることなら母親に内証で、こちらの胸をそっと向うに通ずる術《すべ》もないものかと、いろいろに心を砕いたが、好い方法も考えつかぬ。毎日そこの路次口にいって立っていたなら、風呂に行く時にでも会われはせぬかと思ってみたが、一月から二月にかけて寒い最中のこととて、あまり無分別なことをして病気にでもなったら、この上になおつまらぬ目に会わねばならぬと思うと、そんなことも出来ぬ。そして時々路次に入っていって入口のところに立って家の中の様子に耳を澄ましてみるが、人がいるのか、いないのか、ことりという音もせねば話し声も洩《も》れぬ。そっと音のせぬように潜戸《くぐり》を引っ張ってみても、相変らず閉めきっていて動かない。入口の左手が一間の※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子窓《れんじまど》になっていて、自由に手の入るだけの荒い出格子《でごうし》の奥に硝子戸《ガラスど》が立っていて、下の方だけ擦《す》り硝子《ガラス》をはめてある。そこから、手を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]《さ》し入れて、試みにそっとその硝子戸を押してみると五、六寸何のこともなくずうっと開きかけたが、ふっとそれから先戸が動かなくなったのが、どうやら誰か内側からそれを押えているらしく思われたので、こんどは二枚立っている硝子戸の左手の方を反対に右手に引こうとすると、それもまた抑《おさ》えたらしく開かない。どうしようかと思ってちょっと考えたが、一旦《いったん》押す手を止めておいて、その出窓が一尺ほどの幅になっているので、こんどは隣りの家の入口の方に廻って、その横手の方から、一と押しに力を入れて、ぐっと押すと、こちらの力が勝って、硝子戸は一尺ほどすっと開いた。そして内側をふっと見ると、向うの窓の下のところに、嬉《うれ》しや、彼女が繊細《かぼそ》い手でまだ硝子戸に指を押しあてたまま私の方を見て、黙ってにっこりとしている。その顔は病人らしく蒼白《あおじろ》いが、思ったよりも肥えて頬などが円々《まるまる》としている。近いころ髪を洗ったと思われて、ぱさぱさした髪を束ねて櫛巻《くしまき》にしている。小綺麗《こぎれい》なメリンスの掛蒲団《かけぶとん》をかけて置炬燵《おきごたつ》にあたりながら気慰みに絽刺《ろ
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