みんな売ってしまいましたのどす。人のために災難に罹《かか》って、持ってた物を悉皆《しっかい》取られても足りまへんので、この子にとうとうこんなところへ出てもらわんならんようになってしまいました」母親の悲しそうな愚痴がまた始まった。
「こっちゃへ来てからかて、来た当座にはまだ大分持っていましたえ」
「あんたはん、この子何でも人さんに物を上げるのんが好きどすさかい、今のとこへ来た時、あんなところへ来るような人皆な困った末の人たちどすよって、ひどい人やと、それこそ着たままの人がおすさかい、なんでも好きなもんお着やすちゅうて、持ったもの皆な上げてしまいましたのどす」
「初めてそこへ来た時わたし、人が恐《こお》うおしたえ」
「それはそうだったろう。ずぶの世間知らずが、どっちを向いても性の知れない者ばかりのところへ入って来たのだから。……それでも体さえ無事でいればまた先きで好いこともある」
「ほんまに体一つ残っているだけどっせ」彼女はそういって笑った。「残っているのは、あの古い長火鉢と、あの掛硯《かけすずり》だけどす」
 私はまたそこらを見廻した。箪笥の上には、いろんな細々《こまごま》した物を行儀よ
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