蔭から声をかけて、
「この子がそういうていました。おかあはん、私は口が下手《へた》で、よういわんさかい、あんたから、おいでやしたら、ようお礼いうてえやちゅうて。……此家《ここ》のことも、もっと早うにお返事すりゃ好うおしたのどすけど、この子が二月に一と月ほど、ちょっと心配するほど患《わずら》いましたもんどすさかい、よう返事も出しまへなんだのどす」
 私はそちらへ頭を振り向けながら、
「いや、もう、こうして来て見て、思っていたほどでなかったので安心しました」と、そちらへ声をかけた。
 ちょうど気候の加減が好いので、いつまで起きていても夜の遅くなっているのが分らないくらいである。
 やがてまた母親が、
「もう二時をとうに過ぎたえ。……あんたはんもお疲れやしたろ。お休みやす」
といったので、ようやく気がついて寝支度《ねじたく》をした。

     六

 そこがあまりおり心が好かったので、何年の間という長い独棲生活《ひとりぐらし》に飽いていた私は、そうして母子の者の、出来ぬ中からの行きとどいた待遇《もてなし》ぶりに、ついに覚えぬ、温《あたた》かい家庭的情味に浸りながら一カ月余をうかうかと過して
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