うになって母親も一緒に近いところに越してきて、祇園町の片ほとりの路次裏に侘《わび》しい住いをしていた。そこへ訪《たず》ねていって初めて母親に会った。そして後々のことまで話した。彼女はこんな女にどうしてあんな鶴《つる》のような娘が出来たかと思われる、むくつけな婆さんであったが、それでも話の様子には根からの廊者でない質朴《しつぼく》のところがあって、
「ほんまの親一人子ひとりの頼《たよ》りない身どすさかい、どうぞよろしゅうお願いいたします」といって、悲しい鼻にかかる声で、今のように零落せぬ、まだ一家の困らなかった時分のことなどを愚痴まじりに話してきかせた。その話によると、彼女の家はもと同じ京都でも府下の南山城《みなみやましろ》の大河原に近い鷲峯山下《しゅほうさんか》の山の中にあったのであるが、二、三十年前に父親が京都へ移ってきた。故郷の山の中には田畑や山林などを相当に所持していたが随分昔のことで、その保管を頼んでいた人間が借金の抵当に入れてすっかり取られてなくしてしまった。
「あれだけの物があればこの子にこない卑しい商売をさせんかて、あんたはん結構にしていられますのや」母親は心細い声でそん
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