あ行きましょう」

     五

 私は、それから母親の先に立ってゆく方へ後から蹤《つ》いて行った。もう夜は十二時もとうに過ぎているので、ことに東山の畔《ほとり》のこととて人の足音もふっつりと絶えていたが、蒼白《あおじろ》く靄《もや》の立ちこめた空には、ちょうど十六、七日ばかりの月が明るく照らして、頭を仰《あお》のけて眺《なが》めると、そのまわりに暖かそうな月暈《おかさ》が銀を燻《いぶ》したように霞《かす》んで見えている。そんなに遅く外を歩いていて少しも寒くなく、何とも言えない好い心地の夜である。私は母親と肩を並べるように懐かしく傍に寄り添いながら、
「おかあはん、ほんとうにお久しぶりでした。こうと、いつお目にかかったきり会いませんでしたか」といって私は過ぎたことを何かと思い浮べてみた。
 はじめて女を知った当座、自家《うち》はどこ、親たちはどうしている、兄弟はあるのかなどと訊《き》いても、だれでも、人をよく見たうえでなければ容易に実のことをいうものではないが、追い追い親しむにつれて、親は、六十に近い母が今は一人あるきり、兄弟も多勢あったが、みんな子供のうちに死んで、たった一人大きく
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