くらか薄暖かい空気の中へ爽やかな夜気が絶えず山の方から流れ込んでくる。私は食べ物の香の残っている餉台のところから身体をずらして、そちらの小庭に近い端の方へ行ってまたごろりと横になり、わけもなく懐かしい植物性の香気の立ち薫《かお》っているような夜気の流通を呼吸しながら、女の約束していった二時間のちのたよりを、それがどんなものであるかという不安でたまらないうちにもいいがたい楽しみに充《み》ちた期待をもって待つ心でいた。
あたりは静かなようでも、さすがに一歩出れば、すぐ繁華な夜の賑《にぎ》わいの街《まち》に近いところのこととて、折々人の通り過ぎるどよみが遠音にひびいてくる。しかし、そのためにひとしお静けさを増すかのように思われる。あんまり快《い》い気持ちなので、私は肱《ひじ》を枕にしたまま、足の先を褞袍《どてら》の裾《すそ》にくるんで、うつらうつらとなっていた。そこへ女中が入ってきて、
「お風召すといけまへん。もうお床おのべ致しまひょうか。……あの、どこかちょっとおいきやしたんどすか」
「ああ、お今さんか。あんまり好い心地《ここち》なのでうとうとしていた。……いや、ちょっと、もう少し待って
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