。そして旅館の入口の前で別れながら、
「一緒に御飯を食べるように、都合してなるたけ早くおいで」
「ええ、そうします」といって、女はかえって去《い》った。
 冬の夜は静かに更《ふ》けて、厳《きび》しい寒さが深々と加わるのを、室内に取り付けた瓦斯煖炉《ガスだんろ》の火に温《あたた》まりながら私は落ち着いた気分になって読みさしの新聞などを見ながら女の来るのを今か今かと待ちかねていた。女はなかなかやって来なかったので、とうとう空腹に堪えかねて独りで、物足りない夕食を済ましてしまった。そうしていても女はまだまだやって来ないので、徴醺《ほろよい》気分でだいぶ焦《じ》れ焦れしてきて、気長く待つ気で読んでいた雑誌をもとうとうそこに投げ出して、煖炉の前に褞袍《どてら》にくるまって肱枕《ひじまくら》で横になり、来ても仮睡した真似《まね》をして黙っていてやろう、と思っていると、十時も過ぎて、やがて十一時ちかくになって、遠くの廊下に静かな足音がして、今度は、どうやら女中ばかりの歩くのとは違うと思っていると、襖《ふすま》の外で何かいう気配がして、女中が外から膝《ひざ》をついて襖をそうっと開《あ》けると、そこに彼
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