っているだろう、すぐそこのあの家。あそこが早く気がつくと、すぐあそこへ来てもらうんだった。まあ、いい、入ろう」そういって、私は先に立って、そこの茶亭に入った。
 そして、庭の外はすぐ東山裾の深い竹林につづいている奥まった離室《はなれ》に通って、二、三の食べる物などを命じてしばらく話していた。
「こんな物が出来てえ」と甘えるような鼻声になって、しきりに顔の小さい面皰《にきび》のようなものを気にしている。
「私、ちょっと肥《ふと》りましたやろ」
「うむ、ええ血色だ。達者で何より結構だ。そして急に話したいことがあるから来てくれと言ったのは何のことだい?」
 そういって訊いても女は黙って答えない。重ねて訊くと、
「それはまた後で話します」と、いう。
「じゃ、これからそろそろ宿の方にゆこうか」というと、
「私、今すぐは行けまへんの。あんたはん先き帰ってとくれやす。夜になってから行きます」
「なぜ今いけないの。一緒にゆこうじゃないか」そういって勧めたけれど、今はちょっとよそのお座敷をはずして逢いに来たのですぐというわけにはいかぬというので、堅く後を約束してそこの家を伴《つ》れ立って一緒に出て戻った
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